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高津の富 34分23秒
一人酒盛 24分25秒
市助酒 47分25秒
天王寺詣り 34分31秒
寄合酒 26分07秒
らくだ 56分32秒
らくだ 56分07秒 MBS1179寄席
上方落語界に一石を投じた試みー松鶴十三夜ー
緊張、荒さは否めないが、生かされた持ち味 岡田俊逸
終演後、ロビー横の二斗樽をすえた部屋に姿を見せた松鶴は「わたいの会でっさかいに、好きなだけ飲んで帰っとくんなはれ」と客に酒をすすめていた。
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高血圧ときき、もはや二度と聞けないのではないかと思われた「らくだ」に集まった人は五百名を越し、楽日は超満員、まさに立錐の余地もない盛況であった。
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初日、口上に加わった米朝が、「これが松鶴の聞き納めや思て、どうか毎日通ったって下さい」と茶化したことばが、松鶴自身にとってもかなり印象的だったようだ。
初日から三日間、松鶴は毎日マクラで「米朝が口上でこういうことを言いましたが、ああいうことはよう当たりますもんで」と述べた。
しかしこのような心配はすべて杞憂に過ぎなかった。
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何が松鶴にこのような大がかりな会を可能たらしめたのだろうか。
それは一に、松鶴の上方落語に対する限りない愛着にあると思う。どん底といわれた上方落語の復興に執念を燃やした松鶴が、今また一部で停滞期、衰退期と噂されることに身をもって反発し、上方落語界に一石を投じることによって、なにより若手により一層の奮発を促す刺激剤を提供しようとした行為であったのではなかろうか。
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第五夜に出かけてみると、松鶴はもう米朝の口上を口にしなかった。かわりに「日を追ってだんだんしゃべり難うなります。高座に上がると血圧が上がるんです。けど気にせんようにやれ言うてくれはる人もいて、今日から気にせんようにしてやります。
我々の言葉で、わけのわからんことを食うてしまう言いますねん。四代目の松鶴は、その食うてしもうたとこが何ともいえんかったいう人もいてわたいも四代目にあやかろうと思うてます」とマクラで述べた。
松鶴にとっては、思い通りに言葉がしゃべれない不満から出た、一か八かの悲壮な決意であったかもしれないが、結果的には、高座がガラリ明るくなり、松鶴らしいアドリブも飛出すことになった。
それにしても何と楽しい会だったろう。毎日、銘柄を変えて灘五郷の酒を振舞い、隔日毎に酒のはなしを組んだ趣向は、会場内を酒一色で埋めつくした。客席に持ち込んだグラスをなめながら、酒の松鶴のはなしをきく。酒好きにとって、これ以上の楽しみは考えられない。
その日の銘柄を松鶴がはなしに取り入れたといっては笑い、外人のかけ声に「わたしも長いこと落語やってますが、ワンダフル言うてほめられたん初めてや」に大笑いし、これほど高座と客席が一体になった落語会を私は知らない。
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私にとって、生粋の大阪の人の印象も強く受けた。
それは各夜にふったマクラに強く、川口軒での丁稚奉公をふり返った「蔵丁稚」、和光寺の近くに使いに行った頃におぼえた唄を紹介した「阿弥陀池」、船場会館の二階へ本当にハシゴをかけて、これが本当のハシゴ酒としゃれた「猫の災難」、更には、遂に品物なしで金を貸してくれた質屋のはなしの「質屋芝居」、大阪の土地と共に生きた芸人の哀歓がにじみ出ていた。
圧巻はやはり「らくだ」であった。久しぶりの大ネタとあって、会場は熱気にあふれていたが、前座の三枝、ゲストの幸枝若の熱演もあって、松鶴を迎える舞台装置は、充分すぎる程整っていた。そして松鶴は、観客の期待に見事に応える芸を見せてくれた。